 息子たちとくりくり子育てをしながらくりくりを継続していたころです。わたしはもともとデザイナーでした。しかしデザインの仕事は徹夜徹夜の夜型サイクルでした。2人目の息子伊吹が生まれたころ、毎朝フラフラの私の手を引っ張り、「ママ公園に連れて行ってよー!」とバケツとシャベルを持ってくる息子たちを見て、私はデザインを辞めて「母」になることに決めたのでした。そして昼型の美術くりくりを立ち上げるために0からの勉強が始まったのでした。講談社のインストラクターの資格取得に猛勉強をしてクリア。ここでもムサビのキャリアが生きました。
子育て中盤40代からは、本部の命令で都内直営教室に飛んでいました。 |  ヌードクロッキー人体はデッサンの要である。わたしもヌードクロッキーを通じてデッサンを研磨している。女性は骨盤からヒップの動き、背中が非常に美しい。 |  父と国際協力父はわたしの桃の絵が気に入り、へやじゅうに飾っている。初めて行った公的な日本の介護サービスの大きく、力強くあたたかい力に感動していた。ヤクルトを飲みながら、「こんなに良いところなら自転車で来ようかなー」とつぶやいた。「一期一会」かつて官僚であった父そして国際協力を仕事として世界中を飛び回った父の影響は、とても大きい。 |
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